横須賀市北部に位置し、北部は横浜市金沢区に、西は逗子市に面しているのが追浜地区です。
沿岸部の夏島貝塚は縄文時代の遺跡で、古くからこの地に人が暮らしていたことが分かります。
地区内には山林を切り開いて造成された住宅地と緑豊かな山林が多く残り、交通の便が良いことから東京や横浜のベッドタウンとしても発展しています。
追浜駅から金沢八景駅乗り換えで品川まで40分なので、都心部への通勤もラクラクですね。
駅前には金融機関、商店、医療機関などが一通り揃っているため生活利便性が高く、また横浜DeNAのファーム施設の全面移転が決まっている追浜公園など、市民の健康を守る運動公園等も充実しています。
そんな追浜について、少しご紹介したいと思います。
まずは追浜の地名の由来
追浜(おっぱま)・・・他県の方から見たらこう読むとはなかなか思いませんよね。
追浜がなぜこのような地名になったのか、ご紹介しましょう。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で頼家は、鎌倉幕府の第2代の征夷大将軍となりました。
しかし独裁的な政治手法が反発を招き、北条時政らに謀反を起こされた頼家は将軍職を剥奪され、伊豆の修善寺に幽閉されます。
数か月後、修善寺を脱出し横須賀方面に逃れますが、現在の追浜の海岸近くで北条氏の手下の手に落ち、非業の最期を遂げたのです。
この時の源頼家が追っ手に追われた浜→「追い浜」→「追浜」となったという言い伝えが残っています。
追浜の名前一つにも、歴史と人間ドラマが秘められているのですね。
雷神社(いかづちじんじゃ)
京急追浜駅から徒歩5分の場所にある雷神社は、931年築島に創立され、その後1559年に現在の場所に移されました。
こちらは追浜のシンボルともいえる神社で、夏おこなわれる大祭では多くの市民が神輿を担ぎ、神社周辺は露店が出るなどして大変な賑わいを見せます。
この神社の祭神は火雷命(ほのいかづちのみこと)で、災難避け・雨乞い・交通災害除け・開運・海上安全・学業成就・家内安全など多くのご利益があります。
雷神社の読み方は本来「いかづちじんじゃ」ですが、横須賀市民は親しみをもって「かみなりじんじゃ」と呼んでいます。
神社の境内にあるご神木は樹齢400年を越す大木で、毎年多くの実を付けることから、安産や子育てを願いに訪れる人が後を絶ちません。
最近ではネットゲームで人気の「艦隊これくしょん(艦これ)」のキャラクター名で「雷(いかづち)」が使われており、ゲームに登場するゆかりの地を訪ねる「聖地巡礼」でゲーマー達も訪れる神社です。
日産追浜工場
この地域には昭和20年の終戦まで横須賀海軍航空隊と飛行場がありました。
その広大な敷地を活かして、日本で初めての本格自動車生産工場として1961年に操業を開始、現在年間約24万代の自動車が生産されています。
この工場の近くには「貝山地下壕」があり、ここには戦前日本の軍事に関連する施設があったと考えられていますが、現在も詳細は分かっていないということです。
安全上の問題があるため現在地下壕の立ち入りは禁止されています。
いかがでしたか?
庶民的な商店街や住宅街が広がるなど下町っぽい親しみやすさが魅力の追浜ですが、実は歴史の古い町だったのですね。
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